主日第三礼拝
2026年10月11日
「大きな喜び」
山本龍一郎牧師
徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。そこで、イエスは次のたとえを話された。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
ルカによる福音書15章1~7節(新共同訳)
主日第三礼拝
2026年9月27日
「信仰によって生きる」
金英泰牧師
福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
ローマの信徒への手紙1章17節(新共同訳)
主日第三礼拝
2026年9月13日
「主の御心を求める在り方」
小勝琢生牧師
『なぜあなたは、
私たちが断食したのに、ご覧にならず、
自らを戒めたのに、
認めてくださらないのですか。』
見よ。あなたがたは
断食の日に自分の好むことをし、
あなたがたの労働者をみな、追い立てる。見よ。あなたがたが断食をするのは、
争いとけんかのためであり、
不当に拳で殴るためだ。
あなたがたが今のように断食するのでは、
いと高き所に、その声は届かない。
わたしの好む断食、人が自らを戒める日とは、
このようなものだろうか。
葦のように頭を垂れ、
粗布と灰を敷き広げることなのか。
これを、あなたがたは断食と呼び、
主に喜ばれる日と呼ぶのか。
わたしの好む断食とはこれではないか。
悪の束縛を解き、くびきの縄目をほどき、
虐げられた者たちを自由の身とし、
すべてのくびきを砕くことではないか。
飢えた者にあなたのパンを分け与え、
家のない貧しい人々を家に入れ、
裸の人を見てこれに着せ、
あなたの肉親を顧みることではないか。
そのとき、あなたの光が暁のように輝き出て、
あなたの回復は速やかに起こる。
あなたの義はあなたの前を進み、
主の栄光があなたのしんがりとなる。
そのとき、あなたが呼ぶと主は答え、
あなたが叫び求めると、
『わたしはここにいる』と主は言う。
もし、あなたの間から、くびきを除き去り、
虐げの指をさすことや、邪悪なことばを取り去り、
飢えた者に心を配り、
苦しむ者の願いを満たすなら、
あなたの光は闇の中に輝き上り、
あなたの暗闇は真昼のようになる。
主は絶えずあなたを導いて、
焼けつく土地でも食欲を満たし、
骨を強くする。
あなたは、潤された園のように、
水の涸れない水源のようになる。
あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、
あなたは代々にわたる礎を築き直し、
『破れを繕う者、
通りを住めるように回復する者』と呼ばれる。
イザヤ書58章3~12節(新改訳2017)
