巻頭言
2026年7月19日
キリストに在る一致と平和を求めて
今日は礼拝後に蓮根教会の定期総会が開催されます。総会ではいつもローマの信徒への手紙の12章が朗読されます。12章15節~15節で「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。」と主はわたしたちクリスチャンに命じられています。
ここに示されていますキリストに在る一致、キリストに在る平和は、わたしたち一人一人が十字架のイエス様の御前にへりくだり、悔い改めて主に立ち帰り、聖霊に満たされるときに実現します。すなわち、聖霊によらなければ、キリストに在る一致も平和も実現できないのです。一致も平和もすべて主ご自身の愛と力によって与えられるものなのです。
今日も礼拝のただ中で、目の前に十字架の主を覚えて礼拝をおささげしましょう。わたしたち一人一人が、主イエス・キリストの十字架によって赦しきよめられ救われているのですから、互いに赦し合い愛し合いつつ、心と思いをキリストに在って一つにして歩んでいきましょう。
主任牧師 髙木康俊
巻頭言
2026年7月12日
主イエス・キリストが臨在される教会
先週まで約三週間にわたってアメリカのバプテスト教会を訪問してきました。アメリカのキリスト教会はどこに行っても日本の教会よりも多くの人々が集まっています。若い人も子どもたちもたくさん教会に来ます。本当にうらやましい限りです。やはり、アメリカという社会の土台には聖書があるし、社会全体にキリスト教の文化が根付いているのだと思います。
でも今、アメリカの多くの教会が聖書のみ言葉ではなく、この世のお金や名声や社会的地位や権力に心を奪われ世俗化しています。その悲しい現実がアメリカのあちらこちらで見受けられます。アメリカのキリスト教の歴史においても、現代のアメリカのキリスト教は、多くの教会で世俗化が進行し、霊的に大変厳しい時代を迎えていると言えるでしょう。
今回の伝道の旅で最も痛切に感じたのは、キリスト教会の本質は、教会に来ている人数が多いか少ないかではなく、また、若い人が多いかお年寄りが多いかでもなく、教会の一人一人が主イエス・キリストの臨在に生きているかどうかであるということでした。もし、クリスチャンの一人一人が主イエスの臨在の現実に生きているなら、教会に争いはなく、キリストの愛に満たされ、愛し合い、赦し合うキリストを信じる者の群れとなっていることでしょう。
主任牧師 髙木康俊
巻頭言
2026年7月5日
イエスの弟子として主のわざに満ち溢れ
2000年前、間もなく十字架に掛けられるイエス様はこれから起こる事のすべてを知っておられましたが、弟子たちは何も分からずに的外れなことばかりを口にしていました。『なぜ無駄遣いをするのか』と。無理もありません。十字架の贖いはまだ訪れず、この世の価値観から抜け出せなかった彼らだったからです。その人の一途な痛みを判りようがなかった彼らだからです。隣人の事を考えているようで自分の事しか考えられなかった彼らだからです。しかし、イエス様はそのような彼らだからこそ、その一人一人を選び、弟子となさり愛し抜かれました。ですので、私たちも欠けだらけで良いのです。情けない私たちで良いのです。いや、そのような私たちだからこそイエス様は私たちを選んでくださり愛し、育ててくださっています。ペテロ達がイエス様の十字架の死と復活によって方向間違いに気付き、聖霊降臨によって全く違う者へと変えられて行ったように、私たちも主のわざに満ち溢れるとき、この教会に、この日本に、この世界に主の平安が満ち溢れリバイバルが起こされていくのです。主よ、感謝します。
牧会担当牧師 小勝琢生
