蓮根バプテスト教会

巻頭言

2025年10月26日

愛がなければ、何の益もない

 蓮根教会はイエス・キリストの教会です。主イエスを救い主と信じる者の群れです。神の家族です。わたしたちクリスチャンは、教会で奉仕をするとき、ただ自分のやりたいこと、好きなことをしているわけではありません。主イエス・キリストから与えられた賜物に従って奉仕します。受付の奉仕の賜物を与えられている者が受付の奉仕をし、掃除の賜物が与えられている者が教会堂の掃除をします。説教の賜物が与えられている者が説教で神のみ言葉を語り継ぐのです。しかし、奉仕の現場では、奉仕をする者にその奉仕の賜物があるかないかを判断するのは容易なことではありません。賜物の吟味をする前に、実際の奉仕の必要がありますので、賜物があってもなくても必要がある限り、目の前の奉仕をしなくてはなりません。ですから、自分にはこの奉仕の賜物があるのかな?と疑問に思いつつも、奉仕をせざるを得ないのです。主よ、わたしにこの奉仕の賜物を与えてください!と主に向かって祈りながら奉仕するしかないのです。でも、愛の賜物があれば大丈夫です。愛があればすべての奉仕に適合できます。その愛とは聖霊によって注がれる神の愛です。主の愛を求めて祈りつつ、奉仕を通して主にお仕えしていきましょう。

主任牧師 髙木康俊

巻頭言

2025年10月19日

すべての存在の源である方が共におられる

 わたしたちが、キリスト教会に集い、共に礼拝している神とはどのようなお方なのでしょうか?そして、わたしたちキリストを信じて神を礼拝しているわたしたちクリスチャンとはいったい何者なのでしょうか?わたしたちは、本当の神がどのような方であるかにまだ気づいていないのかもしれませんし、クリスチャンである自分自身のこともきちんと自己理解できていないのかもしれません。わたしたちクリスチャンとは、いったい何者なのでしょうか?主イエス・キリストを信じるあなたは何者なのですか?
 わたしたちが、主なる神がどのようなお方なのか、クリスチャンとは何者なのかを真の意味で知るようになったとき、わたしたちの礼拝のただ中に主の臨在が現され、主の大いなるリバイバルのときが来るのです。祈りましょう。

主任牧師 髙木康俊

巻頭言

2025年10月12日

べテルに上り祭壇を築こう

 現代社会は、お金や地位や名声がすべてであるかのような欲望中心の世界になってきています。そうなりますと、人々は、肉欲的(自己中心的、自分ファーストの状態)になり、自己利益ばかりを求め、客観性を欠いた自分に都合の良い情報ばかりを集める「確証バイアス」の状態に陥ってしまいます。日本も含めて、世界はもうそうなっていると言ってよい状況です。世界中が分断し、終末的な様相を呈しています。
 それでも希望があります。主イエス・キリストが生きておられるからです。主イエスが、十字架にかかり人類の罪を贖い救ってくださったからです。キリスト教徒だけでなく、イスラム教徒もユダヤ教徒も、仏教徒も、無神論者も、だれでも、主イエスを救い主と信じるなら救われるのです。キリストの十字架の贖いによってすべての人がゆるし清められ、キリストの平和が実現し、世界のあらゆる国と国が、民族と民族が、人と人が和解できるのです。
 まずは、この主イエス・キリストによる平和が蓮根教会のうちに満ち溢れ、わたしたちが主イエスを信頼し、主のみを頼りとして、蓮根教会の礼拝堂で礼拝をおささげすることを大切にしていきましょう。主は、蓮根教会の礼拝のただ中に生きておられるからです。

主任牧師 髙木康俊