巻頭言
2026年6月21日
主イエス・キリストが臨在される教会②
主イエス・キリスが今も生きておられるということは、クリスチャンなら誰でもわかっています。しかし、頭でわかっていても、現実にそこに生きるということは難しいものです。礼拝のただ中で、イエス様を信仰の目をもって覚えるということはできたとしても、日頃、日常生活に追われていますと、主イエス様が今も生きて自分と共におられる!ということをついつい忘れてしまいます。イエスさまが今も生きて聖霊によって働いておられるということを知っていることと、その現実に生きることとは別の問題なのです。
主イエス・キリストの教会を建て上げる目的は、キリストの臨在に生きるクリスチャンを育て上げることです。そして、そのクリスチャンたちが主に在って一つとなって、礼拝のただ中に、生活のただ中に、主イエス・キリストの臨在を求めて生きることなのです。
わたしたち蓮根教会の一人一人は、毎週の日曜日の主日礼拝のただ中に、そして日常の生活のただ中に、今も目の前に生きておられる主イエス様を覚えて歩んでいきます。
主任牧師 髙木康俊
巻頭言
2026年6月14日
主イエス・キリストが臨在される教会
わたしたちが目指すべき教会形成は、主イエス・キリストが臨在される教会を建て上げることです。それは、ただ単に、教会堂や人の組織、宗教法人を立て上げることではありません。
イエス様は、エルサレムの神殿で宮きよめをなさった時に「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」(ヨハネによる福音書2章19節)と宣言されました。また、弟子たちに教える時、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書18章20節)ともおっしゃっています。このイエス様のみ言葉の意味するところは、真のキリスト教会とは、主の十字架の贖いと復活を信じる者が一堂に集まり、なおかつ主イエス・キリストが今も目の前に生きておられると信じて、主を礼拝するとき、主はそこに臨在を現されるという約束です。
今、自分たちの教会の礼拝に集まっている人数が多いか少ないかは問題ではありません。お年寄りが多いか若い人が多いかも本当の問題ではないのです。主イエスの十字架の信仰に生きて、主の臨在を信じて礼拝をささげているかどうかが重要なのです。それさえあるならば、人知を超えた主の臨在がその礼拝のただ中に必ず示されます。主の臨在される教会、主の臨在が現わされる礼拝を求めて祈りましょう。ハレルヤ、アーメン!
主任牧師 髙木康俊
巻頭言
2026年6月7日
回復と慰めの時
現代社会は忙しすぎると多くの人々は思っておられることでしょう。また、世界中で戦争や争いごとが頻発し、数えきれないほどの多くの人々が疲弊しています。今こそ、慰めと回復が必要です。やがて主イエス・キリストが再臨され、この世が終わり、新しい天と地が出現する大いなる主の救いと主の裁きの日が来ます。そしてその前に、主イエス・キリストの十字架の贖いの救いと復活そして主の臨在を信じて生きる忠実な信仰者の群れの内に、主の終末的リバイバルが来ます。日本に来ます。必ず来るのです。その時、主イエスを信頼する私たちには聖霊が満たされ、わたしたちは心と思いを一つにされます。そこに深い慰めと新しい回復が訪れるのです。信じて祈り、礼拝を共におささげしながら、その時を待ちましょう。
主任牧師 髙木康俊
