巻頭言
2025年9月28日
キリストに在る一致を目指そう
主イエス・キリストを救い主と信じているクリスチャンの一人一人は、キリストの御霊なる聖霊の導きを求めて歩んでいます。牧師も信徒も同じように一人一人が聖霊の導きによって歩むことを大切にしています。キリスト教会はイエスさまの教会ですから、祈りと礼拝の中で聖霊の導きによって同じ思いとなり、キリストにあって一つにされて、この世の中にキリストの臨在と神の愛を証しすることができます。ですから、わたしたちキリスト教会は、キリストに在って一つ思いになれるように祈りながら、キリストの十字架の愛で、赦し合い愛し合って、神の愛を宣べ伝え続けています。
今年もあと二か月余りでクリスマスの季節を迎えます。わたしたち蓮根教会もキリストに在って心を一つにされて、クリスマスに向かって神の愛を宣べ伝えていきましょう。
主任牧師 髙木康俊
巻頭言
2025年9月21日
天国への門から入る喜び
その昔、ドリフターズの歌に「天国良いとこ、一度はおいで」という歌詞がありました。ドリフターズの先に亡くなったメンバーが本当の天国におられますようにと祈ります。
さて、主イエス様は、「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」(ヨハネによる福音書10章9節)と言われました。そうです。その通りです。わたしたちが主イエスを救い主と信じれば、わたしたちは天国に確実に入ることができます。そこには豊かで素晴らしい永遠の生涯があります。
天国には門があります。十二もあるそうです。その一つ一つは人の体の何倍も大きな真珠でできている壮麗な天国の門だと言われています。人が死んだら、その門の前で使徒ペテロが死者を調べて、天国の切符を持っている者はペテロから祝福を受け天国の門から天の御国に入ることを許され、切符がない者は天国の門を通ることを拒否され地獄に落とされるのだそうです。
実際にペテロが天国の門の前にいるかどうかは定かではありませんが、確かなことが一つあります。主イエスの御名を呼ぶ者はだれでも救われるということです(ローマの信徒への手紙10章13節)。先に召されたわたしたちの愛する一人一人は、イエス様を信じて天国の門から入りました。わたしたちも、主イエス様を信じて天国の門から入り、愛する者と再会する喜びの日を迎えたいものです。主イエスの御名を呼びつつ、共に召天記念礼拝をおささげいたしましょう。
主任牧師 髙木康俊
巻頭言
2025年9月14日
神の家の門口に立つ喜び
主は、イザヤ書46章4節で
「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」
と言われています。
本日は敬老祝福式の日です。主イエス・キリストは、主を信じつつ地上の人生を今日まで歩んでこられたお一人お一人と共に今もおられます。そして、お一人お一人を主は祝福しておられます。
主の祝福とは、あなたのすべての重荷を主ご自身が背負ってくださるということです。主はあなたの重荷を担い、あなたを背負って、あらゆる不安から、あらゆる暗闇から救い出してくださいます。主イエス・キリストを信じて生きる人は、体が老いていく中でも、永遠の天の御国に近づく希望を抱き、今も目の前に臨在される主に礼拝でお会いできる感謝と喜びに生きるのです。わたしたちキリスト者は高齢になり白髪になっても、なお霊的な信仰の実を結び、命にあふれ、いきいきと生きてまいります。
主任牧師 髙木康俊
